"西域の流砂に埋もれる者達を顕せる風の如く"
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2000.8.28-9.2 月庵 津軽千代造窯 小山陽久の陶展
これは陶芸家小山陽久さんに依頼されて、札幌に行くので津軽のアイテムを入れた案内状ー、やっぱ岩木山でし、牡丹でし、ということになりました。
2000.11.30-12.5 ユパンキ さいとう天心の杜展
この年の四月にもユパンキでフクロウの絵を描いたこけし展をやっています。プロフィールにもあるのですが、僕自身制作活動を始めた最初がユパンキでした。不思議なるは縁と名づけん。
2001.4.25-4.13 あるち さいとう天心の木工展 ○△■
これまで懸命に椀、皿、カップ、こけしなどいわゆる丸い作品に神経を集中してきたのだけど、少しだけ方向が変化しはじめてきた。全体としては六呂が基本なのだが、そのなかにシルエットが四角とか三角なのがではじめてきた。
2001.9.21-9.25 月庵 さいとう天心木工展 ○△■
昔のさっぽろがまだ残っている街ー円山地域にあります月庵という茶室ー高村光太郎の智恵子抄の一節<三畳あれば寝られますね>の三畳に炉がきってあり、周りは玉砂利をしき全体で六畳間ほど、壁は黒一色の会場ー月庵。
2002.1.30-2.3 さくらの都 さいとう天心の木工展 ○△■器
まるさんかくしかくは、書でいうところの真行草です。例えばロクロで挽いた椀を○、円く刳り貫いたようでいてよく見ると四角いのが△、全く丸くないのに実はロクロを使用してるのが□。という意味があります。
2002.3.21 LIRIO ○△■と藍の風展
弘前工芸協会のメンバーで初めての街ー盛岡展をやりましょうと結成しました。
○が陶芸家の小山陽久さん、△がさいとう天心、□が木工芸作家の小野英樹さん、ここに吹く風をイメージして藍染めは渡辺恵美子さんで行ってきました。
盛岡の風はけっこう厳しかった!しかし弘前からの意欲とメッセージはホンの少し伝わったかなという一歩でした。
2002.5.9-5.14 田中屋画廊 さいとう天心の木工展 宵宮の暦
僕が宵宮を好きなのは、ずいぶん小さい頃の思いでの積み重ねだろうと思う。始めは炭坑の町に来た大道芸の一行の妖しさだし、東京では縁日と呼んでいる毎週土曜の夜店のなまめかしさだし、子供心にとってはいつもとは明らかに異なる空気の中で、何か不思議なことがきっと起こると期待した胸の動悸である。
2002.7.19-7.21 青森市民美術展示館 くらふと4人展
盛岡展の時と同じメンバーで青森展。小山さんが馴染みの会場であることも手伝ってなかなか楽しい展示会であった。
2002.8.30-9.3 こすもす さいとう天心の木工展 フレイマンシェイド
フレマンシェイドとはフレームandシェイド。枠と影。実体は何処にありやなしやと。
2002.9.13-9.16 月庵 津軽千代造窯 小山陽久の陶展
小山陽久さんの自宅の展示場は自作です。ぶっとい梁、漆喰いの壁、にぢり口のある入口の戸、玉砂利を敷いたタタキ、そして黒を基調とした色合い。
落ち着いた雰囲気で周りの草木ともあいまって古刹を思い起こさせる場所です。あなたもいってみませんか。
2002.9.25-9.29 さくらの都 ふれいむフクロウ板絵展
板に絵を書く、彫るんだけど書く。こちら側を出来るだけ素に近くして板をボンヤリと只見ている内に板には内緒でヤッと書いてしまうのがコツ。
フレームと板絵の関係は夜店の型抜きと同じである。
2003.4.24-4.29 あるち さいとう天心の木工展 ○△■with陽子の花
画廊あるち<青森>にて二人展をしました。
布花<ぬのばな>でコサージュ、ブライダルブーケなど柔らかな感触の作品を創作するアーティスト。
この時は○△□のイメージの中でステキなコラボレーションができました。
2004.06.17 Thursday「よみや with CHARO」展 2004
針金アート.の方が判りやすい。様々なワイヤーを使い表現するアーティスト"Charo"さんとの初めてのコラボレーション。コラボとしては昨年の横内さんからだと第二弾になりました。
二人で一緒の空間を共有し且つお互いの個性がケンカせず双方の主張が通る、この関係は極めて希であり、とても素晴らしい事!
2004.8 必殺ねぷた疾走之図 木ぼりYA天心
おまかせアートナブルデザイン[木ぼりYA.天心]として活動を開始する。
これまでの主体となっていた個展の枠を更に拡げようとするもので、さいとう天心個人の活動+コラボレーションシップを加えたものになっている。
<必殺ねぷた疾走之図>は、2003年.弘前での必殺ねぷた人という集団が出したねぷた[連獅子]に大いに感銘をうけて制作したもの。今まで自分が見た中での最高のねぷたであった。
この集団の棟梁が何を隠そうせんだってコラボをした人形ねぷた組師中川俊一その人である。
2005.02.05 Saturday
「天心 & CHARO with みやちの春いちばん」展
<樹皮コラージユ>というのが僕の耳には新鮮であった。岩木町の鳴海要記念陶房館に居られる宮地さんである。草木のオブジェと呼んだ方が判りやすいとのこと、山から森から樹木と草に関するものー木の実、草の実、小枝、木の皮、棘、葉っぱ、蓮の根等々、で様々なオブジェを創出し続けている。彼女と中川氏と僕との三人がまたまた滅多に無いことだが実に相性が好い。そういう訳でコレまたコラボとあいなった次第である。
これは陶芸家小山陽久さんに依頼されて、札幌に行くので津軽のアイテムを入れた案内状ー、やっぱ岩木山でし、牡丹でし、ということになりました。
2000.11.30-12.5 ユパンキ さいとう天心の杜展
この年の四月にもユパンキでフクロウの絵を描いたこけし展をやっています。プロフィールにもあるのですが、僕自身制作活動を始めた最初がユパンキでした。不思議なるは縁と名づけん。
2001.4.25-4.13 あるち さいとう天心の木工展 ○△■
これまで懸命に椀、皿、カップ、こけしなどいわゆる丸い作品に神経を集中してきたのだけど、少しだけ方向が変化しはじめてきた。全体としては六呂が基本なのだが、そのなかにシルエットが四角とか三角なのがではじめてきた。
2001.9.21-9.25 月庵 さいとう天心木工展 ○△■
昔のさっぽろがまだ残っている街ー円山地域にあります月庵という茶室ー高村光太郎の智恵子抄の一節<三畳あれば寝られますね>の三畳に炉がきってあり、周りは玉砂利をしき全体で六畳間ほど、壁は黒一色の会場ー月庵。
2002.1.30-2.3 さくらの都 さいとう天心の木工展 ○△■器
まるさんかくしかくは、書でいうところの真行草です。例えばロクロで挽いた椀を○、円く刳り貫いたようでいてよく見ると四角いのが△、全く丸くないのに実はロクロを使用してるのが□。という意味があります。
2002.3.21 LIRIO ○△■と藍の風展
弘前工芸協会のメンバーで初めての街ー盛岡展をやりましょうと結成しました。
○が陶芸家の小山陽久さん、△がさいとう天心、□が木工芸作家の小野英樹さん、ここに吹く風をイメージして藍染めは渡辺恵美子さんで行ってきました。
盛岡の風はけっこう厳しかった!しかし弘前からの意欲とメッセージはホンの少し伝わったかなという一歩でした。
2002.5.9-5.14 田中屋画廊 さいとう天心の木工展 宵宮の暦
僕が宵宮を好きなのは、ずいぶん小さい頃の思いでの積み重ねだろうと思う。始めは炭坑の町に来た大道芸の一行の妖しさだし、東京では縁日と呼んでいる毎週土曜の夜店のなまめかしさだし、子供心にとってはいつもとは明らかに異なる空気の中で、何か不思議なことがきっと起こると期待した胸の動悸である。
2002.7.19-7.21 青森市民美術展示館 くらふと4人展
盛岡展の時と同じメンバーで青森展。小山さんが馴染みの会場であることも手伝ってなかなか楽しい展示会であった。
2002.8.30-9.3 こすもす さいとう天心の木工展 フレイマンシェイド
フレマンシェイドとはフレームandシェイド。枠と影。実体は何処にありやなしやと。
2002.9.13-9.16 月庵 津軽千代造窯 小山陽久の陶展
小山陽久さんの自宅の展示場は自作です。ぶっとい梁、漆喰いの壁、にぢり口のある入口の戸、玉砂利を敷いたタタキ、そして黒を基調とした色合い。
落ち着いた雰囲気で周りの草木ともあいまって古刹を思い起こさせる場所です。あなたもいってみませんか。
2002.9.25-9.29 さくらの都 ふれいむフクロウ板絵展
板に絵を書く、彫るんだけど書く。こちら側を出来るだけ素に近くして板をボンヤリと只見ている内に板には内緒でヤッと書いてしまうのがコツ。
フレームと板絵の関係は夜店の型抜きと同じである。
2003.4.24-4.29 あるち さいとう天心の木工展 ○△■with陽子の花
画廊あるち<青森>にて二人展をしました。
布花<ぬのばな>でコサージュ、ブライダルブーケなど柔らかな感触の作品を創作するアーティスト。
この時は○△□のイメージの中でステキなコラボレーションができました。
2004.06.17 Thursday「よみや with CHARO」展 2004
針金アート.の方が判りやすい。様々なワイヤーを使い表現するアーティスト"Charo"さんとの初めてのコラボレーション。コラボとしては昨年の横内さんからだと第二弾になりました。
二人で一緒の空間を共有し且つお互いの個性がケンカせず双方の主張が通る、この関係は極めて希であり、とても素晴らしい事!
2004.8 必殺ねぷた疾走之図 木ぼりYA天心
おまかせアートナブルデザイン[木ぼりYA.天心]として活動を開始する。
これまでの主体となっていた個展の枠を更に拡げようとするもので、さいとう天心個人の活動+コラボレーションシップを加えたものになっている。
<必殺ねぷた疾走之図>は、2003年.弘前での必殺ねぷた人という集団が出したねぷた[連獅子]に大いに感銘をうけて制作したもの。今まで自分が見た中での最高のねぷたであった。
この集団の棟梁が何を隠そうせんだってコラボをした人形ねぷた組師中川俊一その人である。
2005.02.05 Saturday
「天心 & CHARO with みやちの春いちばん」展
<樹皮コラージユ>というのが僕の耳には新鮮であった。岩木町の鳴海要記念陶房館に居られる宮地さんである。草木のオブジェと呼んだ方が判りやすいとのこと、山から森から樹木と草に関するものー木の実、草の実、小枝、木の皮、棘、葉っぱ、蓮の根等々、で様々なオブジェを創出し続けている。彼女と中川氏と僕との三人がまたまた滅多に無いことだが実に相性が好い。そういう訳でコレまたコラボとあいなった次第である。
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第11回 喧嘩ねぷた
今回は、書物の記録にねぷたが登場した江戸時代中期頃から、昭和の初めまで続いた喧嘩ねぷたについて述べたいと思う。
喧嘩ねぷたとは、その名の通り、ねぷた運行に伴い生じる喧嘩のことであるけれど、最初の頃は道で正面から出くわした二台のねぷたが互いに道を譲れと小競り合いをする程度だったが、次第に激化し、明治の頃には町道場間の抗争にまで発展した。
この喧嘩ねぷたの習慣はねぷた祭りに二つの変化をもたらしたと私は考えている。
一つは、意義の変化である。
本来眠り流しを起源にもつねぷた祭りの意義は、「穢れ祓い(けがればらい)」あった。
それが喧嘩ねぷたの習慣によって、祭りの意は、特に武士階級の「うっぷん晴らし」へと変化したのだ。
けれども、「うっぷん晴らし」と「穢れ祓い」、この両者はまったく異なるとは言えないと思う。
うっぷん晴らしを現代の言葉で言い直すと、おそらく「ストレス発散」となるだう。
現代の医学ではストレスが体に多大な悪影響を及ぼすことがわかっている。
古代の眠り流しで祓われた穢れもストレスと同様に身体に悪害をもたらすものと考えられていたはずだ。
そう考えるとこの変化は許容できる範囲内の変化ではないだろうか。
もちろん喧嘩ねぷたの暴力的抗争に賛同するわけではないけれど。
そして、もう一つが、ねぷたで作られる題材の変化である。
現代では、全般的に、軍神や武将の退治や戦といった勇ましい題材が多いけれど、江戸時代の後期までは、恵比寿や米俵そして千両箱といった縁起物が題材にされることの方が多かったのである。
それが江戸末期から明治の頃の、喧嘩ねぷたの激化と全国的な武者絵の流行を背に、勇壮な題材が多く作られるようになり、現代に至っている。
この戦が求められた時代の題材の変化は自然のことであり、非難する気は無い。
けれど、戦争を求める人よりも平和を求める人が多いであろう今の時代では、多少の
違和感を覚える感じがするのは私だけだろうか。
まして、それが古くからの伝統ではなく、この百数十年の動きなのだから、なおさらそう感じてしまうのだ。
参考文献 藤田元太郎 著作『ねぶたの歴史
第10回 弘高ねぷた
今回は、歴史や技法から少しはなれて、県立弘前高校が学園祭の一環行事として毎年七月中旬に制作運行している通称「弘高ねぷた」のことを書きたいと思う。
弘高ねぷたの歴史は随分古く、五十年以上の歴史を持つ。
初期の頃は扇ねぷたでの出陣だったらしいが、その後、人形ねぷたに変化し、現在でも人形ねぷたが制作されている。
(弘前の伝統が扇ねぷたばかりではないことは以前にも述べた。)
弘前高校のこの変化は、弘前市の人形ねぷたの減少と扇ねぷたの増加という時代の流れとは、まったく逆の動きと言える。
なぜ弘前高校では人形ねぷたを制作するようになったのか。
それは、前回で述べた人形ねぷたの制作作業の特徴が関係していると思う。
彼らの制作意欲が、人形ねぷた制作の膨大な作業量の多さを上回っているのだろう。現在、弘前高校では、二週間足らずで、一クラス一つの人形ねぷたを制作している。一クラス四十人余りの手が、夢中になってねぷたを作っているのだ。
私は、「どこのねぷた祭りが一番好きですか?」と聞かれると、必ず「弘高ねぷた」と答える。
弘前ねぷた祭りよりも、青森ねぶた祭りよりも、弘高ねぷたが一番好きなのだ。
それには理由がある。
彼らは何事にもとらわれる事の無い自由な発想を持ち、それを人形ねぷたと言う形にしているからだ。
それが素晴らしい。
彼らは、現代の祭りが抱えてしまった様々な足かせに自由を奪われるということがほとんど無い。
その自由奔放さは制作だけではなく運行においても同様である。
彼らに弘前の常識なんてものは通用しない。
「ヤーヤードー」とともに彼らは「ラッセラー」の掛け声をも用いて飛び跳ねる。
そのリズムを先導しているのが、なんと「サンバホイスッル」という二つの音を出せる南米カーニバルで用いられる笛なのだ。
全てのクラスがこの笛を持ち、しかも弘前高校オリジナルの節まであるのだ。
この斬新で創造性溢れる彼らのねぷたが私はどのねぷた祭りよりも一番好きなのだ。
今年の運行は今日の六時半から。
今年も「ねぷた馬鹿」の卵たちの熱狂振りを見に街に繰り出そうと思う。
次回は再び歴史に戻って、かつての喧嘩ねぷたという習慣について述べたいと思う。