"西域の流砂に埋もれる者達を顕せる風の如く"
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第2回 「ねぷた」と「ねぶた」
「ねぷたとねぶたの違いは何ですか?」という問いに、「ねぷたは弘前、ねぶたは青森」と答える人がほとんどではないだろうか。
今では、当然のことのように思われているが、この「ぷ」と「ぶ」が使い分けられるようになったのは、昭和に入ってからのことなのだ。
なぜ同じ津軽地方の同じ文化に基づいた夏祭りの呼び名を使い分ける必要があったのかはわからない。弘前と青森の微妙な訛りの違いからであろうか。今となっては不明だが、なにか両者の対抗意識がこの使い分けを生んだような気がしてならない。
私はこの連載での表記を「ねぷた」に統一するけれども、これは私が弘前の人間だからではない。ねぷたの起源からたどれば、「ねぷた」とするのが自然だと思うからだ。
ねぷたの起源は次回から4回に分けて書いていくが、その起源から考えれば、ねぷの語源は「眠り」であることは間違いない。
津軽弁で「眠い」は「ねぷたい」と訛る。だから、「ねぷた」という呼び名の方が、正統ではないかと思うのだ。
これは私個人の考えであるが、呼び名をどちらかに統一しなければ、文章がややこしくなってしまうので、どうかご理解頂きたい。
それにしても、この使い分けどうにかならないものだろうか。
確かに、それぞれの地域のこだわりがあって使い分けしているのだろうが、このことが多くの誤解を生じさせている。
最近では、「ねぷた」は扇ねぷたのことで「ねぶた」は人形ねぷたのことだと思っている人が少なくない。扇ねぷたは、現在の弘前の主流になっているだけで、決して、弘前の伝統ではないのだ。(この辺の歴史についても後の回で書く予定である。)
さらに、同じ起源をもった夏祭りがなにやらまったく違う起源をもっているかのように思われている。呼び名が多少違うからといって、隣り合う地域の夏祭りの起源が違うわけはないのだけれども、青森では坂上田村麻呂、弘前では津軽為信を起源だと思っている人が多い。この辺を次回から述べていきたいと考えている。
さて、皆さんはどちらの起源がホントだとお思いだろうか。実はこれ、どちらも
ウソなのである。
(毎週水曜日むつ新報に連載中)