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   "西域の流砂に埋もれる者達を顕せる風の如く"
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第一回 ねぷたの昔、今、そして未来


さくらの花が散り、少しずつ暖かさが暑さへと変わっていくこの季節。津軽を賑やかすねぷた馬鹿たちの血も、ざわりざわりと騒ぎ始める。道を埋め尽くしたねぷたの色艶やかさが、空にまで映っていくような、日常とはかけ離れた七日間を思い浮かべると、ねぷた囃子のリズムを刻むかのように、心が躍りだす。

私もそんな津軽気質の人間だ。長く厳しい津軽の冬を越し、春を迎えた喜び、そこから短い夏に向け急激に高められ、昇華していく想い。そんな津軽人の気質は、厳しくも美しい津軽平野の四季に導かれたものであろう。

さて、そんな津軽の気質が作り出してきた“ねぷた”とは、どんな起源や歴史を持ち、どのような役割を果たしてきたのか。また、今の時代に、どのような役割を果たすべきか。

私にとってのねぷたとは「居場所」だった。夏の間だけ、空き地に出来上がるねぷた小屋は、多くの大人たちが集まり、ませた子どもだった私はその中にいるだけで少し大人になれた気がした。今思い起こせば、手伝いをするどころか、いつも遊びまり、邪魔ばかりしていた。そんな私を大人たちは、怒るわけでもなくかまってくれた。れが嬉しかった。
中学校に上がる頃から、少しずつ、ねぷたの作業を教わるようになった。一つずつ、できる作業が増えていく。それがまた嬉しかった。高校を卒業する頃には、一通りの作業ができるようになっていた。
それを年下の子たちに教える立場になったとき、私はねぷたの役割に気づいた。ねぷたは、大人から子どもまでの広い世代が同居する地域のコミュニティという役割を果たしているのだ。家庭や学校、会社のどれよりも幅広い世代が多彩に集まり、ねぷたの時間と空間を共有することで、人と人の結びつきが生まれる。それが何事にも変えがたい大切なものであることに気づくことが出来た私は、ねぷたの行く末が気になり始めた。より良い形で残したい。

そのために、まずは過去に学ぶ必要があると、私は感じている。

             (毎週水曜日 むつ新報に連載中)

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2006.03.02 Thursday
エリオット・マーフィーのコンサートに行ってきました。
レコード・本・家電を扱う大型チェーンFNACの催事場での、無料の店内イベントです。


写真1:これまでになく自由なロッカー、パリのアメリカ人・エリオットと、多様な観客。


写真2:ますます盛り上がる観客。


おまけ:帰りにオペラ近くの大型スーパーに寄る。レジ周辺や階段、むき出しのバックヤードに弘前の紅屋地下にいるような懐かしさ。


新しいお知らせを致します。

時:6月9日(金)~12日(月)
  10:00~19:00(最終日は17:00まで)

所:弘前市立百石町展示館(全館1F/2F)

題:-2006 弘前工芸協会展-「Re-楽-S」(リラックス)

内容
木工・陶芸・藍染め・裂き織り・津軽塗り・ブナコ・蔓工芸・アクセサリー・針金・判子等々、メンバー30人によるクラフトフェアーです。

暮らしの中のリラックス再発見、体験しにきませんか!
を開催致します。どうぞ皆さんでお出かけください。

 弘前工芸協会事務局:弘前市在府町61 
       弘前こぎん研究所内℡・0172-32-0595

          あるちめぢ阿n さいとう天心


 http://www.tsugaru.com/
    津軽.comに掲載中です。


青森県工業試験場の門をくぐり、てびきろくろを習得したのが六月、
二ヶ月後に弘前の田中屋で初の個展。
勢いに乗じて十一月札幌にて二回目、その名も゛六路天心。
ロクロを使って椀や皿を造るのが挽きもの師と呼ばれ
日本中の山から山へと渡り歩たーいわゆる山家であります。
日本の三大美林は彼らが造ったとされてます。
山中に六郎沢とあればその辺りに挽きもの師の集落があったということです。長くなりすぎましたがそんなわけで六路天心。
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