"西域の流砂に埋もれる者達を顕せる風の如く"
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第13回 今に残る眠り流しの伝統
今 年もねぷた祭りが終わり、それぞれのねぷた団体では、ねぷたの解体と後片付けに追われていることであろう。
ねぷた祭りは、眠り流しと言う習慣の流れを汲む 祭りであることは、前にも述べたけれど、眠り流しで、祓った穢れをのせて川に流されていた何らかのものが、ねぷたの山車の原形であると考えられている。
昭 和の中頃までは、ねぷたを川に流すという習慣が残っていたが、今ではほとんど見られなくなってしまった。
流されなくなったねぷたは解体されることになった わけだけれども、どちらもねぷたを無くしてしまうわけだから、眠り流しの習慣の「流す」という意味は残っていると私は思うのだ。
無 くするためには、それを作らなければならない。この「作る」ことと「壊す」ことこそが、眠り流しから続くねぷた祭りの重要な要素ではないかと思う。
県外の 人にねぷた祭りの話をすると、「終わった後にあの巨大で美しいねぷたを壊してしまうのか」と驚かれる。
外の人から見ればせっかく作ったものを壊してしまう のはもったいないと考えるのが普通なのだろう。
けれど、ねぷたは当たり前のように毎年壊され、また翌年作られる。
このサイクルは、二つの恩恵を私たちに与 えてくれていると思う。
一つは、ねぷたの技法の進化を促していること。
一年に一度、各団体で少なくとも一台作られるのだから、現在までに膨大な数のねぷた と呼ばれる山車が作られてきたわけで、その分ねぷたは進化してきたわけだ。
もう一つは、ねぷたによって形成されるコミュニティの結びつきを強くしていると いうこと。
ねぷた祭りは「作る」と言うプロセスを必ず含んでいるわけで、この「作る」という時間を共有できることが、ねぷたという祭りの最大の利点ではな いかと思うのだ。
眠り流しにおいて、「流す」ことは祭りのクライマックスであった。
現在の、ねぷたを壊すという作業は、後片付けの一環のように思われがちだが、また翌年、ねぷたを作るための最初の作業と考えれば、面倒な作業にも身が入るのではないだろうか。
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