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   "西域の流砂に埋もれる者達を顕せる風の如く"
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本当に何年振りのことで札幌駅に居る。

この大量のヒトの群れと謀らずも遭遇することになり強いめまいを覚える。
ヒト皆がそれぞれに統べからく活渇としてうごめき、このエネルギーの集合体にワタシ自身が押され、否応無くワタシは取り込まれ又何の断りもなくヒトズは過ぎ去って逝く。


私をその眼球の隅に一時留めはするものの次の瞬間には、跡形もなく消滅させているのだ!
我が眼底が如何に此れ等の詳細を捉えようとしても、すぐさまに見知らぬ「1個の動く物体名称無し」としてヒトズの意識から自動的に削り取られていることは必定。
何も影響しない何も関わることのない単なる浮遊流動体との認識より他に無い。 
浜の真砂の一粒すらキラッと光り彼方に一抹の海市を魅せるではないか。


このヒトのムレというエネルギー体、コレハイッタイナンダ!

此れ迄に私を通過していく人々はワタシという確定された存在エネルギーに向い更に自らをも融和させるべく関わってくる。
買う人、話す人、驚く人、無視する人、戸惑う人、嫌がる人、喜ぶ人、感嘆する人//総てのシチュエーションでワタシに関わりワタシに揺さぶりを掛け、過ぎて行く。
「糧」が蓄積という意味合いを強く持つならば、此れ等の関係は糧ではなく「揺さぶり」だ。
風のごとく波のようにワタシを揺さぶり消えていく。
そしてこの確かな事実と記憶の故に我が心身が絶え間なく変化し続けているのだ。



これをして「刹那」という。「刹那」は単独では「その時限り」だが複数になると<セツナズ>、訛りを取ると<セツナシ>。
変化型は切ない、切なく、切なし
切は中断だから節に通じ、区、季節へと拡大る。「ヒトズの歴史」、「ウチュウの全貌」もまた一刹那であり、此処に於いて「その時限り」は簡単に46億年を超える意と同義になる!
楢の木に゛

これは、

ドングリだ!



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